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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「我君不遊有深意」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる明石女御の出産(御帳台の中)復元模型
閉じる左が源氏の君、右が明石の君
閉じる明石の君・復元人形
オススメ度 4.1点
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自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現在の今上天皇と系譜がつながっている。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。
「あやしくひかひかしく、すすろに高き心さしありと人も咎め、
また 我なからも、さるましき振る舞ひを、仮にてもするかな、
と思ひしことは、此(こ)の君のむ(生)まれ給(たま)ひしと記に、
ちき(契)りふか(深)く思ひ志(し)りにしかと、
め(目)のまへ(前)にみ(見)えぬ・・・・《あなたのことは、おほつかなく》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《明石女御(春宮・皇太子の正室)男子を安産にてご出産》
《源氏の君、明石の君の父(明石入道)のさとりの境地に共感する》
《(源氏の君)「あの入道(明石入道・明石の君の父)は、ただ世渡りの心がまえだけが
十分ではなかったのでした。
(源氏の君)「あの入道(明石入道・明石の君の父)は不思議と一癖ある人で、
むやみに高い望みをもっていると、人もとやかく言い、またこのわたし自身も、
一時のかりそめにしろ不都合なふるまいをするものよ、と反省したものだが、
それもこの君(皇太子と明石女御の若君)がお生れになったときに、前世の因縁が
深いからなのだと悟りはしたものの、この目に見たわけではない・・・・・《遠い昔のことは、
はっきり分らず不審に思い続けてきたのでした》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《若菜・上》
不迹或其他任何方面,都得特富有修。外人都:‘此人的先祖大臣十分明,
曾尽忠竭力朝廷效。’
但就女子方面看来,目今尊已,决不是后无人的。
”他泪来信,看到了梦的地方,想道:“
人皆明石道人,他言行怪僻,妄自尊大。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。
冬姫は通称。2つとも貞子の印。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。
(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。左の写真は、桐壺の巻の奥付。上下2段の花押のうち、上の印は。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。出羽久保田藩士【奥山榕斎】明徳館教授『詩書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/ 本姓:糸井 名:高翼 字:君鳳 通称:九平 / 出羽秋田の士族。元政『本朝法華伝』(全3巻2冊揃)寛文元年版 平楽寺村上勘兵衛刊 日蓮宗資料 江戸時代和本(明治刷)仏教書 仏書。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。甲賀流忍術概略/甲賀流忍術屋敷/木村利一/忍術/甲賀流の発祥地/忍術は何頃から始まったか/往古の甲賀武士/武将と甲賀武士の縁組。@1937年 土匪村行脚 初版 検索: 支那 生写真 中華民国 軍閥 国民党軍 古建築 流民 総督府 憲兵 白黒写真 巡捕 租界 洋行 偽軍 馬賊 満洲国。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。髙橋香樹(髙橋石人)『石人作蘭亭序』限定40部 1999年赤坂篆刻工房刊 印譜集 高橋香樹 高橋石人 書家 篆刻家。日本甲冑考 1942年 限定1500部 武道 武具 装身具 剣道 兵器 武器 剣術 刀術 兵法 傳書 弓箭 兵書 弓道 支那 武士道 殺人剣 活人剣 鎧兜馬具。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。伊達千広『大勢三転考』(全3冊揃)明治6年序刊 明治時代和本 国学者・紀州和歌山藩士の歴史書 古代から江戸幕府成立まで 日本史論書。福田栄造編『銅版絵入懐中東京案内 二編』明治10年同盟舎出版刊 明治時代和本 銅版画挿絵多数。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。Glp_339325 故実叢書 武家名目抄 職名部 巻一~巻九 塙検校保巳一.編/今泉定介.編。【希少/除籍本】江戸時代書林出版書籍目録集成 3冊セット 井上書房 和書/古書/慶應義塾大学付属研究所 斯道文庫編【ta01c】。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。噫山本元帥/大本営海軍報道部推薦/昭和19年・10000部/米内光正・鈴木貫太郎・文/大東亜戦争海軍作戦記録画・藤田嗣治/山本元帥写真伝。茶湯弊帚記 全六巻・附録巻揃 松尾流茶道 松尾宗二述 享保七年壬寅仲夏序。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。『写景学講本』明治時代和本 石版画20枚入 西洋絵画法 図法幾何学 透視図法 透視法 画図教科書 西洋絵画 洋画 デッサン 素描。稀少★新版 橋口五葉集 うすごろも浪花の女 (管理85294516)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。@宋拓 雁塔聖教序 遂良 有正書局 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓片 碑刻 法帖 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 旧拓 印譜 唐本 漢籍 王羲之 趙子昴。【稀少・勇壮 江戸期 和書】日本名将記 検合戦国武将軍記武者絵入天皇仏教浮世絵本朝幕府仏像大日本歴史古書籍骨董品木版画中国朝鮮歌舞伎。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。版画誌 陸奥駒 第17号 全12葉 佐藤米次郎編 棟方志功 川上澄生 関野準一郎他。森鴎外『審美新説 全』明治33年 春陽堂刊(初版本) 明治文学 明治時代和本 美学論 哲学論。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。☆E0167万延2年(1861)かわら版「御府内町々御救人別書惣高/御府内物持町人施之名前附」1点/古書古文書/木版摺り。LL-4550 ■送料無料■ 弓箭礼法伝書 完 弓道 弓術 武道 絵入り 明治 大正 肉筆 写本 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。釋迦御一代記圖會 巻三・巻四・巻六(大尾) 葛飾北齋画。@1900年 装束甲冑図解 検索: 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【推薦!江戸期木版印刷 絵入多数】源平争乱記等検合戦国武将軍武者絵本浮世絵天皇仏教古書籍歌舞伎大日本歴史骨董品鎌倉幕府弁慶中国朝鮮。☆極美☆ラフカディオ・ハーン・ちりめん本5冊セット☆小泉八雲。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。完品 加藤健著 川端康成序 藤田嗣治装画『加藤健詩集 記録』昭和16年 創元社刊 初版本 刊行別紙完備。『日本文徳天皇実録』(全10巻10冊揃)寛政8年 出雲寺和泉掾 江戸時代和本 平安時代文徳天皇一代記 天皇史 漢文集 編年体。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1937年 中央公論 支那問題特輯 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 租借地 北京 抗日。頓阿『井蛙抄』(全6巻合本全1冊)慶安元年 二條通松屋町山屋治右衛門刊(京都)江戸時代和本 南北朝時代の歌人による歌論書纂輯書 和歌文学。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。1951年 名家印選 明清 印譜 限定1000部 検索:印章 落款識 印款 金石篆刻 印存 朱印 篆印 雅印 支那 遊印 雅号印 金文 石鼓文 鐘鼎文 呉昌碩。[清] 沈徳潜選『重訂元詩別裁集』(2冊=巻1,2,5,6)石文堂蔵版 漢詩集 漢籍 唐本 和本 印記「対観楼蔵」。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。建部凉袋(建部綾足)『芭蕉翁頭陀物語 全』寛延4年序 井筒屋庄兵衛刊 江戸時代和本 松尾芭蕉 俳諧 俳句 俳書。保田光則『装詞打合図・脚結詞打合図』明治35年和歌嬌風会刊(宮城県仙台市)富士谷成章「あゆひ抄」関連。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。石川県第一女子師範学校編『女のしつけ』(全2冊揃)明治13年益智館(金沢市)明治時代和本 石川県郷土史料 女子教育史。杉田三郎助編『雲烟供養図録』(全4冊揃)明治12年後跋 蓬莱山堂蔵版 煎茶会図録 京都の古美術商山堂杉田竹香追善供養 煎茶道 中国文化。二月に女三宮が六条院に降嫁した。写本 墨妙道人誌『黒色之伝』安政2年 熊谷徳斎写 江戸時代和本 筆跡診断(書き文字性格診断)文字の書き方で吉凶を占う 易占書 占い。忍秘伝・服部半蔵所伝・附家藏忍術文献書目/本書は忍法の秘伝書・万川集海廿六巻と正忍記三巻と共に本邦忍書の白眉とされた権威書である。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。@1924年 張廉卿墨跡 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 碑拓 碑刻石 法帖 魏碑 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻 瓦当 印譜 王羲之 玻璃版 法書 石鼓。1932年 印譜 1070顆 古代中国 日本所蔵 朱印存 朱肉 印章 古璽 金石 篆刻 拓片 黄庭堅 石濤 書道 封泥 羅振玉 支那 呉昌碩 趙之謙 鄧石如。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。大洋・53冊・戦時資料/昭和15年から昭和18年/海軍航空隊特集/無敵潜水艦特集号/決戦の焦点ラバウル特集/山本五十六元帥追悼/比島決戦特集。★0015和本明治3年(1870)跋富士講「食行尊師不尽道歌三十六首解」全1冊/咲行三生/食行身禄/不二道/実行教/古書古文書/木版摺り。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。頼朝公御書 豊後國湯布院住人/新田法眼照義入道。石王塞軒(名:明誠)『書』掛軸〔紙本肉筆真作〕/近江出身 大洲藩主・徳島藩主に仕える 京都に開塾 太極図説に詳しい 墓所:左京区真如堂。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。★0350和本江戸元治元年(1864)宗門人別改帳「河州古市郡大黒村宗旨御改帳」1冊/大阪府羽曳野市/古書古文書/手書き。蘭学の泰斗!/[藤林普山・蘭学逕・27丁完揃]/藤林淳道。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。はつぞら (俳諧) 佳雄編。江戸後期刊 五大尊種子 薬師十二神将/古文書 仏教美術 五大明王。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。文人画家西田春耕旧蔵書(印譜多数)道元撰 慧印注 翼龍童編『首書傍解普勧座禅儀不能語』明治12年刊 明治時代和本 曹洞宗資料 仏教書。明治45年 外務省通商局 移民調査報告。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。☆E0225和本江戸慶応3年の書き入れ「新撰年表」全1冊/佐倉順天堂/清宮秀堅/蘭学/古書古文書/木版摺り。水の面に書きて 堀口大学著 長谷川潔装幀。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。★0390和本江戸元治2年(1865)「五家失徳」全1冊/徳川斉昭/水戸/古書古文書/手書き。津阪東陽(津阪孝綽)『古詩大観』(全2冊揃)文政12年 彙文堂書店刊(京都) 明治時代和本 漢詩註釈書。》
《ありかたき心さしをつ(尽)くし》・・・・・て、おほやけ(朝廷)に
つか(仕)うまつり給(たまひ)けるほとに、ものゝたか(違)ひめありて、
そのむく(報)いにかくすゑ(末)はなきなりなと、人い(言)ふめりしを、
女子の方につけたれと、かくていと嗣なしと いふへきにはあらぬも、
そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」
なと、涙おし拭ひたまひつゝ、この 夢のわたりに目とゝめたまふ。菊池幽芳著 鏑木清方画「毒草」(合本全2冊)大正5-6年に大阪毎日新聞に掲載された連載小説切抜。往生要集 1883年 3冊全 地獄絵図 検索: 浄土教 鳩摩羅什 般舟三昧経 白蓮社 無量寿経 五台山 極楽浄土 浄土三部経 善導 廬山 慧遠 龍樹天親。
・・・・て朝廷に仕えていらっしゃったのだったが、その間に何かの行き違いがあって、
その報いで子孫がこうして衰えたのだなどと、世間では言っていたようだけれど、
娘の筋ではあるにせよ、こうしてまったく跡継ぎがないというわけでもないのは、
多年の勤行のご利益というものでしょう」
などと、殿(源氏の君)は、涙をたびたびおふきになっては、この夢語りの
書かれてあるところにお目をおとめになる。浮世画手本 蝶園国盛 絵本 画譜 魚 鳥 虫 植物 花 木 和本 古文書 明治十四年発行。書画・落款印譜大全1/狩野亨吉・中村不折序文/天金本/昭和6年/印影及び落款は全部実物の印譜と作品とに就き、細心の注意の下に撮影した。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。和本『本朝 画家落款印譜 上・中・下 3冊揃』 狩野寿信 大倉保五郎 明治27年。1944年 日本建築経済史 初版 限定5000部 検索: 神社 寺院 様式 長安 木工 佛寺 古墳墓 鋳金 工匠 伝統技術 図版 原色 生写真 蔵書印 印譜。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
There was a minister in your family,
an extremely earnest and intelligent man, I have always heard.
People who speak of him in such high terms have always asked
what misstep may have been responsible for bringing his line to an end
―though of course we have you, and even though you are a lady
we cannot say that his line has come to a complete end.
No doubt your father's piety and devotion are being rewarded."
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
只是于世之道,用心未免不足耳。☆E0007和本江戸天明2年(1782)序儒者随筆写本「駒谷芻言」1冊/松村梅岡/古書古文書/手書き。小濱藩儒者奉行 山口春水書状 越前町/次郎兵衛 春水/花押(花押は印)。只因其行事舛,得,故子不能繁昌。仙崖和尚捨小舟 聖福寺蔵版 非売品 明治初期と思われます。写真集 満洲国の幻影 支那兵 日中戦争 川島芳子 奉天 新京 抗日 国民党軍 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍土匪 共産軍 八路軍 総督府 古建築。
正是道人多年来勤修佛道的善。女三の宮(朱雀天皇の皇女)三条殿の邸で持仏開眼供養を開催・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」鈴虫の巻(2000円札の絵柄)茶道・茶道具2B。富士谷御杖『俳諧天爾波抄』(全6冊揃)文化4年刊 俳諧文法書 江戸時代和本 富士谷成章の子 国学者。
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。装束甲冑図解・附弓剣馬具図解・改版増補・2冊/そのかみの服裝兵具のあるやうをも知らせんの旨意にて往年国学院雑誌に掲げつるものなり。一柳春門(村田春門)『牽牛花百首』文政7年 多豆舎蔵版 本居宣長に学んだ国学者 朝顔を題材とした歌集 江戸時代和本。冬姫は内大臣・通誠の養女。虜愁記 直木賞 千葉治平。1897年 皇国小史 附図 武道 武具 装身具 剣道 兵器 武器 刀剣術 戦陣 戦車 兵書 傳書 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣 活人剣 殺陣。正式な名は伊達貞子。尾上柴舟短冊 裏山は… 尾上柴舟(八郎)。写本『大久保武蔵鐙 後編』(18巻5冊)文化2年 畑成富写(松本村)江戸時代和本 大久保彦左衛門 三河物語。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。中要秘胆弓要集/射形極意秘伝目録/弓道書弓術書・肉筆/文政五年/和装本。金松堂開板引札 『釋迦八相 倭文庫今樣寫繪』 明治五年五月。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。聖書講義Ⅰ~Ⅷ 全八巻揃 岩波書店 矢内原忠雄 送料無料。画本拾葉 3冊合本 雪蕉斎 寺井重房 検索:支那 唐本漢籍 書道 唐画譜 朱印譜 落款 木版刷 木刻 印存 金石 篆刻 印社 肉筆 張瑞図 漢文 漢詩。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。細川幽斎著 中院通勝補訂 菱川師宣画『百人一首像讃抄』江戸時代和本。三十六歌仙 牧心齋法眼/狩野安信筆 寛文延寶頃。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―91B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。馬術教範/帝国尚武会編纂・森隆著/明治45年/馬に就て/乗馬法・騎手の服装・乗馬の姿勢及び騎座・乗馬及び下馬/婦人乗馬法/調教/衛星一般。稀本零葉集『物語小説』(全2冊揃)限定30部 平成13年青裳堂 江戸時代和本 奈良絵本 古活字版 御伽草紙 仮名草子 滑稽本 浮世草子 西鶴本。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。1923年 鄧石如 隷書 唐本漢籍 検索:柯羅版 玻璃版 支那 原拓片 碑帖 法帖 法書道 古籍 原色 古墨拓本 碑刻石鼓文 金石 篆刻 唐物 古璽 印譜。BB-4254 ■送料無料■ 正チャン文庫 ズク小僧 悪魔王退治他 読物 本 冊子 古本 古書 挿絵 大正 80g 印刷物 ●13冊 ●汚れ&破損有/くKAら。
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。内村鑑三先生御遺墨帖/非売品/限定1000部/長谷川周治・文/昭和16年/内村鑑三先生は我国の生んだ世界的なる霊界の偉人であります。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。田能村小斎 (田能村順之助) 編『直入翁寿筵図録』(全3冊揃)明治14年赤志忠雅堂刊 田能村直入煎茶会図録 木版画挿絵多数入 明治時代和本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。平部喬南『日向纂記』(全8冊揃)明治18年 荒武純太郎刊(宮崎県南那珂郡楠原村)明治時代和本 日向国史料 宮崎市 日南市 串間市資料。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。土屋鴎涯自筆画帖 大田南畝先生戯吟 歌泉 昭和癸酉(8)年鴎涯筆。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。近衛師團 小林捨造從軍日誌及行軍記健脚行軍記 明治27年~明治37年。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。平野謙草稿 「日野啓三の時評」 平野謙。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。詩集 思弁の苑 山之口獏 佐藤春夫・金子光晴序文。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。名臣言行録 前後集 合本3冊 宋朱晦菴先生 朱熹撰。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。1929年 支那 古建築 検索:生写真 佛塔 秦磚 漢瓦當 拓本 碑刻 牌楼 牌坊 箭楼 北平 満洲 清国 龍門石窟 故宮 道観 敦煌 北魏造像 行宮 寺廟。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。昭和11年 帝国書院 国漢参考図録 検索:武道 武具 装身具 馬具 兵器武器 剣術 剣術 武鑑 兵書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。草筏 外村?。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。河鍋暁斎・小林聖湖挿絵多数入 中村頼治増補『頭書増補 絵本太平記』(13冊セット)明治16年東京同益出版社刊 一部彩色木版画入。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。西国紀聞・第六号/細島晴三/明治10年/西南戦争/和装本/賊将西郷隆盛より賊将谷干城へ書を贈れり依て士官囲を脱し南の関本営に持参せりと。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。絵図 (城郭図) 茨城県 常陸國 下館城 歴史資料 帳仕立て (レターパックライト発送)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。HH-5500 ■送料無料■ 弓道 弓術 伝書 5冊まとめて 昭和 戦前 写本 絵入り 伊藤甚右衛門幸氏 武道 和書 古本 古書 古文書 レトロ /くJYら。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。池村鶴吉編『歌曲の花園』(全4冊揃)明治22年松陽堂 明治時代俗謡集「音曲博士」「義太夫佐和利集」「古今端唄大全」「東都々逸五百題」。
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