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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる右が紫の上、左が女三の宮の模型
閉じる高僧の病快復の御修法(みずほ)
閉じる六条御息所の車争い・葵祭り
閉じる車争いの拡大・右上に座っているのが御息所
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。四年の歳月が経過。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。》
《ひそねむ心、つか》・・・・ひ給(たま)ふな。
いと、くやしきことになむありける」
なと、いひ續くれと、物のけにむかひて物語し給はむも、かたはらいたけれは
、ふうしこめて、うへをは、又、こと方に、忍ひてわたしたてまつり給ふ。今日のかへさ、
見に出て給ひける上達部なと、歸り給ふ道に、かく、人の申せは、
「いと、いみしきことにもあるかな。
中宮(六条御息所の娘)にも、次のことをお伝えくだされ。斎宮でいらっしゃった時分の、そのための罪の軽くなるような
功徳(くどく)を必ずなさるよう。
〔二十九・柏木ら紫の上を見舞う〕
こうして、対の上(紫の上)おなくなりになったという噂(うわさ)が世間にひろまるので、
お悔みに参上なさる人たちがあるのを、殿(源氏の君)はまことにいまわしくお思いになる。
この世の生きがいを満喫した幸い人(紫の上)の、・・・・《光も失せる日だからこそ
こうも雨がそぼ降るというわけだったのか」》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《若菜・下》
切不可心嫉,与人争。源氏得和鬼魂,
不成体,便使用法力,把鬼魂封于室内,悄悄地把病人往室去了。竟有多人前来吊。今日茂祭行列来,王侯公卿都前往礼。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。
冬姫は通称。2つとも貞子の印。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。明治〜昭和初期ビンテージ 戦前の古書 古文書 12点セット 学校教科書 図書の附録 詩歌集 明治天皇御製 OJM608。LL-8504 ■送料込■ 弓箭図式 天保14年 江戸時代 弓道 弓術 木版画 絵入り 図録 和書 古書 古文書 /くJYら。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。『 懐風藻箋註 本文と研究 - 静嘉堂文庫蔵 - 』 土佐朋子 汲古書院。●極上和本YM4648●英学楷梯[洋学楷梯]松岡啓 明治4年 状態良好。現在の今上天皇と系譜がつながっている。ちりめん本「The Boy Who Drew Cats: 猫を描いた少年」 長谷川武次郎発行 英語版 木版画 明31。祝詞考 天地人 全3冊揃 明治16年 加藤氏蔵版 賀茂真淵 d。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。大日本古記録 薩戒記 四 東京大学史料編纂所 岩波書店【ac02v】。【中古】 女子学院の歴史 (1985年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。梅原三千『生川正香翁略伝』大正15年 生川正香翁建碑期成会刊(三重県津市)刊行別紙および葉書2枚付。戦前教育資料! 戦前の教科書14冊セット 大正13年〜昭和15年発行 OJM608。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。請取状一札之事。遠州流 生花 巖松齋法眼一鵰撰 四季之園 全四巻 木版本 版画 TK082。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。ジャンク 天誅組罷通る 菊池寛著。農務顛末 本巻揃い 全6冊。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 スリープ・ポジション (1978年) (Playboy books)。ピネヲ氏 通俗英文典 英語学習書 英語参考書 英語 古書 明治時代 和綴じ。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 日本広告発達史 下 (1980年)。【中古】 紅燈下の彼女の生活 (1982年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 屋代 重長 一瓜二心三休四面五主 古文書。BA857■送料込■軍隊 ミリタリー 戦争 満州 日本 大東亜戦争 戦争 小説 読物 本 写真 古本 冊子 古書 古文書 印刷物 ●67冊まとめて/くOKら。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。★0099和本江戸期新潟地誌「頸城郡大概記」1冊/牧村箕輪与右衛門/古書古文書/手書き。【畧可法 上下巻合冊】 市川米庵 文政十年跋刋 江戸和本。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 ゼロサム社会の経営戦略 マーケット・シェア編 (1983年)。【中古】 炎とともに (1981年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。写真帖★「愛知県写真帖」大正2年11月 庁舎 学校 駅 会社 神社 寺 物産他 67施設及び解説。K1175サ△「和漢書画印補正」 上下 全2冊揃 柏原屋清右衛門 河内屋喜兵衛 享和2年 帙入 江戸期/落款/印譜/和本/古書。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。HH-9743 ■送料込■ 医事新論 23冊 まとめて 昭和9年~昭和14年 医療 医学 雑誌 和書 本 古本 古書 レトロ /くJYら。ビジュアル版 世界の歴史 全20冊。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。▲01)【同梱不可】嘉多比沙志 全6冊揃セット/かた比沙志/万延2年/江戸和本/斉藤彦麿/後集/A。【中古】 仏教おもしろ小百科 (1983年)。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。BB-9369■送料込■佛伝図 真保享 監修 金子桂三 写真 毎日新聞社 上品蓮台寺 他 本 古本 冊子 古書 印刷物 昭和53年 ●重さ3012g/くOKら。日宣著『本地垂迹法華勧請番神縁起論』(全3冊揃)天保8年 村上勘兵衛版 江戸時代和本(明治刷)日蓮宗 仏教書 仏書。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。新現代図書館学講座 1~17 17冊。富士谷成章『あゆひ抄』(全6冊揃)安永2年後跋 江戸時代和本 国学者が著した日本語文法書。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。【中古】 おもいのほかの (1985年)。上州治乱記 他。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。金文総集 全10巻揃いセット/浙江古籍出版社/中文書/中国/古代文字/考古学/研究/学術/歴史/青銅器銘文/鐘鼎文/。【中古】 直日開顕霊念体験法 (1982年)。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。百人一句 雲亭麻陵輯並彫 文政八年刻成。南祖印『鬼手佛心』マクリ〔紙本肉筆〕作者不詳 /法師 坊主 僧侶 出羽國秋田より 歴史 文化 古文書 / 扁額額装用まくり。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。【中古】 宇宙との連帯 (1982年) (河出文庫)。看護学書『簡明家庭看病法』明治28年/宮尾すゑよ/長野県立松本高等女学校/医学史/和本 古文書【24-0901-77】。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。2915絵入 馬術 乗馬 武術 全5冊揃■騎法便覧■ 江戸期 木版画 木版 版画 稀覯本 騎馬 和本浮世絵ukiyoe古書古文書和書古本古典籍骨董古美術。■希少 未使用 明治24年出版(1891年)!源氏物語湖月抄(第四編~第七編 4冊帙入り)発行人:梅原忠藏、増註訂正者:猪熊夏樹。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。26か297す 聖徳太子尊像聚成 石田茂作著 講談社 昭和51年 限定1000部の内508番。藩札図録 佐野英山編。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。陸奥会津藩領田川村古文書●嘉永元年写 貞享元年(1684)御検地田川村名寄帳 88丁 魚沼郡田川村 現在の新潟県魚沼市 231118。HH-9410 ■送料込■ 生活 第1巻第1号/3~6号 第2巻第1号/2号 第4巻第12号 第5巻第6号/11号 まとめて 大正 博文館 雑誌 本 古本 古書/くJYら。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。写本4冊「東照宮御遺訓」「越後国黒鳥根元記」「中山愛親卿問答」「伊吹蓬因縁記」/軍記物 古文書 和本【24-1104-38】。【中古】 子どもに根ざす社会科教育 (1980年)。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。f240502034〇彩色木版画 広重 富士三十六景 上総黒戸の浦 千葉県木更津市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。★0195和本江戸期河川土木工事治水写本「圦樋要録」1冊/紀州流/古書古文書/手書き。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。海後勝雄教育著作選集 全5冊 海後勝雄。新論 全2冊 (木活字本) 著者名無し(会沢正志)。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。『 環海詩誌 全 』 杉重華 喜多貞吉。【中古】 資料日本教育実践史 全5巻セット。齋宮におはしましゝ頃ほひの、
御つみ、かろむへからん功徳の事を、かならすせさせ給へ。「来翰綴(私物)」水野良一軍曹宛て 昭和17年~20年/旧日本軍 資料 手紙 太平洋戦争 ソ連参戦【24-0717-48】。【中古】 社会主義計画経済 (1982年) (岩波現代選書 71 )。
「かくうせ給ひにけり」といふこと、世中に滿ちて、御とふらひに
聞え給ふ人ゝあるを、いと、ゆゝしくおほす。【中古】 講座現代の心理学 7 個人・集団・社会 (1982年)。【中古】 レーオポルト・フォン・ランケ 歴史と政治 (1983年)。
い(生)けるかひありつるさいはひ人の、・・・・・《ひかり(光)、うしなふ日にて》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。阿蘭陀国条約並税則/和本【24-0921-33】。蔦田二雄イムマヌエル 創群日誌 全7冊 蔦田二雄。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
<紫の上にとりついた例の正体が六条御息所と知り、源氏の君が話を聞く><BR><BR>《生霊の六条御息所が、娘の中宮について源氏の君に伝言を依頼する》《(霊・六条御息所)「修法(ずほう)よ、読経よと騒ぎたてることも、
この身には苦しくつらい炎となってまつわりつくばかりですので、いっこうに
尊い声も耳に入らないのですから、まことに悲しいのです。【中古】 せんろの話。f24111202〇乗換切符 東京鉄道 未使用品 両国 品川 明治43年〇和本古書古文書。
御宮仕えの間に、けっしてほかのお方と張り合ったり嫉(そね)み心を》・・・・起したり
なさらぬよう。旗本領古文書手紙●明治30年 囚人から家族等への便り手紙 北海道集治監十勝分監から囚人書信用紙使用 3点9枚 現在の千葉いすみ市231005。少女小説 野辺の子等 松田稽子 昭和発行☆ 古本★。
そのころのことは、まことにくやまれることでした」
などと霊(六条御息所)言い続けるけれど、殿(源氏の君)が生霊に面と向って
お話しになるのも見苦しいことなので、この憑坐(よりまし・霊)を一室に閉じ込めて
おしまいになり、対の上(紫の上)をまた別の部屋にそっとお移し申しあげなさる。京名所案内記。工程・綴方学校 全15冊。
今日(賀茂祭りの翌日)の斎院御帰還の行列の見物に出かけて
いらっしゃった上達部(かんだちめ)などは、そのお帰りの途次に、このように人々がお噂申すので、
(上達部)「まったく大変なことになったものよ。★明治9年発行 帙付き 和綴本 『 円山勝会図録 全3冊セット 』 熊谷久兵衛 鳩居堂 煎茶会。大東亜写真年報・2603年版/昭和18年/日本語英語中国語/戦ふ東条内閣・大東亜戦争勃発・一億必勝へ総決起・逞しき大満州国・アジヤは1つなり。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。【中古】 北方ユーラシア法系の研究 (1981年)。朝鮮米の研究 菱本長次 1938 初版第1刷 千倉書房/気候/土地改良/小作制度/朝鮮産米増殖計画/品種改良/病害の防除/穀物検査/輸送/B3233143。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。了意著『連歌初心抄』寛永14年刊 歌書 江戸時代和本 和歌・短歌・俳諧・俳句。(古本)土木施工管理技術テキスト 土木一般編・施工管理編・法規編 土木施工管理技術研究会 土木施工管理技術研究会 A49076 19870406発行。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【中古】 他者経験の現象学 (1985年)。服部章 (服部子裁=服部愛軒) 著 服部操編『愛軒遺文』(全3冊揃)明治44年 漢文集 迴瀾社 明治時代和本。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
Her whole attention must go to atoning for the sins of her time at Ise,
far from the Good Law. I am sorry for everything."
It was not a dialogue which he wished to pursue.
He had the little medium taken away and Murasaki quietly moved to another room.
The crowds swarming through the house seemed themselves to bode ill.
All the high courtiers had been off watching the return procession
from the Kamo Shrine and it was on their own way home that they heard the news.
"What a really awful thing,"
said someone, and there was no doubting the sincerity of the words.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
否后悔莫及!”鬼魂得滔滔不。【中古】 音楽人類学 (1980年)。百箇條調書 全13冊。
此紫夫人病故的消息,已遍各。a2-3(書画鑑定法 印譜落款集)全3冊 全巻セット 平渡緒川 書画研究所 大正5年 函入り 古書 現状品。登高行 15号。
源氏嫌其不祥,心甚懊。【処分価格】★大岡忠相比事 10巻10冊揃 写本 大岡忠相 大岡越前守 大岡忠相★ 検)徳川吉宗 大岡政談 徳川綱吉 徳川家康 徳川光圀。目録 名簿 犯罪 罪名 身分職業 金沢市内詐欺取財ノ罪及刑法第三百九十九条第四百一条ノ処断ヲ受ケタル者。
他在途知此事,有人即景言道:“此事非同小可!
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。「日本心霊」5点 昭和5年~7年 日本心霊社/日本心霊学会 オカルト 妖怪 古新聞 資料【24-0222-2】。新編続詩学精選 全巻 校訂新編詩学精選 4冊 計10冊 庄門熙編輯 明治。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 ヱンコの六 (1982年)。尊円親王(尊円法親王)道恕跋『往生至要抄』(2冊揃)安政5年 青蓮王府蔵梓 天台宗 江戸時代和本 仏教書 仏書 南北朝時代 青蓮院17世門跡。正式な名は伊達貞子。都会節用百家通 古文書 和本 古書。唯信 8~17号の内11号欠 9冊。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。★C24和本江戸文政13年(1830)跋儒学儒教「荀子箋釈」8冊揃い/朝川善庵/平戸維新館蔵/井上桜塘の旧蔵書/古書古文書/木版摺り。R-077236 明治三十九年 台湾嘉義廳 謝恩表(謝恩状、嘉義庁、中国、王朝文、資料、手紙、掛軸、掛け軸、古書、古文書、巻物)(R-077236)。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。【中古】 レムの宇宙カタログ (1981年)。即決★文学博士・島邦男編『殷墟卜辞綜類』株式会社大安・1967年初版・ビニールカバー、凾ー甲骨文字・象形文字・神代文字。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。古文真宝諺解大成。▼ 【計5冊 清律例彙纂 熊本藩訓譯本 律令研究会 昭和56年】159-02408。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―69B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。43259-60 巻物5本 剣術書? 読めません 明治時代の書物でしょうか? 送料60size。【中古】 民具学の提唱 (1979年) (民族文化双書 1 )。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【中古】 ゴシップとっておきの話 (1981年) (21世紀ブックス)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 運輸官僚らくがき帖 (1985年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。伊良子清白全集 2 散文篇 伊良子清白。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。真作 古文書 書状3通「石川章長」石川(石河)家第3代当主 尾張徳川家の家老 慶安時代生 墨筆 (江戸時代 古筆切 掛軸 和本。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。旗本領栗崎村古文書離縁状●明治10年 離別状之事 武蔵国那珂郡秋山村福島瀧次郎から栗崎村の女性宛 現在の埼玉県本庄市 240324。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。復刊 ビブリア 全8冊 天理図書館。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 クルマよこんにちは (1980年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 NHK撮影読本 (1980年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 早稲田微に入る本 (1981年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)江戸時時代のパロディー本 保存版(切り抜き37枚セット。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。『帝国蚕業協会報』(全32冊揃)明治32-35年帝国蚕業協会刊(長野県小県郡上田町)現・上田市で刊行された明治時代の養蚕業会報誌。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。R875 運気発陽 萬録壽寶玉三世相大全 戦前 大正四年五版 古書 和本。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。【中古】 パリ・ニューヨーク・東京 (1985年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 和装正絹白生地 (1981年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 富家馬 古文書。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。旧法典シリーズ 全4冊 現代法制資料編纂委員会。
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